すぎのこ通信

時々更新しますね

日記 1月23日 駐輪場にて

土曜日に更新と言っておきながら、早速守れていないすぎのこです。本命はあと少しで書き上げられるので今週土曜に公開します。

 

先日、アパートの駐輪場に置いている私の自転車に、放置自転車回収の札が貼られていました。私が通学などに使用している自転車は、高校2年生の時に親から買い与えられたもので、かれこれ6年以上は乗っていることになります。

  • 錆ついて施錠が不可能
  • ベルが半分吹き飛んでいて中身がない
  • 中のスポンジが飛び出ているサドル
  • 歪んでいる 

写真で見るとあんまり汚くない

など、ほとんどは私が真摯に自転車と向き合えば解決することばかりではあるので、実質放置し続けているのと変わらないんですけどね。

まあそれにしてもほぼ毎日乗り続けているので、衝撃というか、「おっ」と思うわけです。

この札を貼ったであろう大家さんは、私がこのボロチャリに毎日乗っていることは知らないでしょうし、駐輪スペースはなんだかカッコいいロードバイクばかりなので、なおさら愛車・エンデバー号のボロさが際立つわけです。私でも、あの駐輪場だけを見たら瞬時にガラクタ扱いしてしまうと思います。

見えていないものはないのと一緒、てやつなんですかね。

 

その”見えていないもの”次第では、徒労感のようなものがヌんメリのしかかってくるものだと思います。たとえばそれが自分そのものだとすると、、

最近の私は”見られていない自分”を意識する機会がツイッターでカスツイートをするとき以外にないのであまり実感はできないのですが、それを意識せざるを得ない環境に身を置いている人は、きっと心の何割かが薄暗くなっているのではないかと勝手に思っています。

そうすると、

 

「キミのこと、ちゃんと見てるからな」

 

という言葉が、しみしみじゅわ~となるわけです。

 

 

またこんど。